自己紹介 2024年地域おこし協力隊

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はじめまして

2024年の4月から南箕輪村に地域おこし協力隊としてやってきました高橋真優(まゆ)です!
担当分野は農業振興で、普段は役場の産業課農政係にいます。
農業者の方のもとへ行きお手伝いをさせていただきながら勉強をさせていただく予定です。

こちらに来る前は東京都町田市に住んでいました。
前職では満員電車の小田急線で、新宿まで通勤をしていました。
東京は便利な町で、おしゃれなカフェもあって、文化的なものも多くあって楽しい街です。
でも、都心部は特に人が多くビルも高く空気が重くてむわっとしています。

長野県に移住をしたい

昨年、屋久島に行って縄文杉トレッキング(22キロの道のりを約10時間かけて歩く)や
富士山登頂をしたことを機に自然の中を歩くこと、登山をすることの面白さを知りました。
長野県であれば、実家の東京からも近いし、山が沢山あるし、個人で開いている
素敵なお店があると耳にするし、


「長野に移住したい!」

という想いをもって2023年9月に仕事を辞めました。

南箕輪村地域おこし協力隊の出会い

仕事を辞めた後の6カ月、前半3カ月は旅に出て、後半3カ月は自宅引きこもり&急速な新生活準備を。

10/11/12月

10月


前職最後の出勤日の翌日から、秋田に向かい秋田駒ケ岳へ(その日は濃霧で頂上までは行けず)、
その後大学時代に通っていた岩手県陸前高田市広田町に移動して約10日間程滞在。お世話になった町の方や、仲のいい友人に会えたり、海から登る朝日を眺めたり、町で行われる4年に一度のお祭り、その夜には花火大会に行ったりと滞在を満喫。一方環境の変化で寝不足が続き、滞在最終日に予定していた登山は体調不良で断念。3年半勤めていた仕事を辞めたことは、しっかりひっそりとダメージがあることを感じ始めていました。

10月後半は北海道旭川市東川町へ。尊敬している一緒に働いていた方に会いに行くことと、北欧発祥フォルケホイスコーレをモデルにした「大人の学び舎」Compathのプログラムに参加することが理由で東川町には約2週間程滞在。行った時期は紅葉が強く鮮やかな時期で、そんな自然の中で自分の内面に向き合う時間を多く過ごしました。

内省するためにプログラムの中で他者と関わることに対して頑張りすぎず、一人でいる時間を増やすことを選んび過ごすと、孤独感、虚無感、無力感を抱き、その苦しみを言葉にしたり表にだすことも難しく辛い想いを経験しました。それでも言葉以外の表現に頼ったり、自然の声に耳を傾け心と体をゆだねたり、ちゃんと誰かに相談をする中でこわばっていたものがほぐれていくのを感じました。
(プログラム終了後は旭岳に登ったり、札幌に住む友人のところに行きミュージカル鑑賞をしたり、函館の展望台に歩いて行ったり、青森県立美術館で奈良美智さんの作品を観て帰京)

仕事を辞めて「解放された~」というよりも、寂しさや喪失感も味わうこととなった10月。
とはいえ新しい人・場所・モノへの出会いにわくわくしたり、自分の好きなことも弱さも知れる大事な時間でした。
(東川町では毎日美味しいものを食べていたので太りました)

11月

長野移住をするのに欠かせない「車」。
東京にいると運転をしなくても生活ができてしまい必要としていなかったのですが、
意を決して免許取得を。新潟県糸魚川市自動車学校の合宿免許に申し込み。
教習所での実技筆記の勉強は大変でしたが、合宿所から徒歩数分で海が眺められて、教習所の外のコースでは山と海を目の前にして走ることができて、なんとか免許を取得することができました。
初めて覚えた&走った国道は8号線。
(二日目あたりは本気で逃げ出しそうになりましたが…)

12月

高知県東洋町でポンカン収穫。
ふるさとワーキングホリデーという制度を利用して約1ヶ月滞在をしました。
働く現場はぽんかん”山”でその名の通り、日がよくあたる急斜面に実がなっています。
昨年登山デビューをしましたが、その中でも最もハードな”山登り”に。(冗談ではなく90度くらいの斜面の場所もありました。)険しい道の中、20㎏程のぽんかんコンテナを運ぶことは困難で最初は手も足もでませんでした。毎日汗をかいて働き、帰ってきてお風呂に入り、寮のメンバーとご飯を作って「美味しい美味しい」と言いながら食卓を囲み、そんな日々の生活がとても幸せな時間でした。

収穫~選果~出荷までの一連の作業を経験させていただき、農業の繁忙期の忙しさ、男女の身体性の違いによる役割分担等を学ばせていただくこともできました。
そして何よりも12月の高知県の温かいこと。(一緒に働くおっちゃん達は「ぬくいね~」と言っていました)海も澄んでいて、湾になっている場所は水も穏やかで…長野の冬は寒くなることが予想されるため、冬にまた戻りたいです。

1/2/3月

1月

4月からまた働き始めたい。長野県に移住したい。
という気持ちがあるのにそちらの計画はおろそかに、仕事を辞めた後にやりたいことリストにある
「語学留学」の準備に勤しむ1月。行先はカナダのバンクーバで、1ヶ月間ホームステイしながら
語学学校に通う、というプランを立てていました。学校入学手続きも、行きのフライト確保も完了。
がしかし、これは実行されることはありませんでした…。

1月末に友人3泊5日の台湾旅行にいった、最終日に台湾でインフルエンザになってしまいました。
台湾の空港内では車いす、無事に帰国した後も生まれて初めての救急車で空港近くの病院へ搬送。
留学は約2週間後に控えていました。
体の状態が悪いことに加えて、旅をしたり、免許をとったり、留学の入学金など、
自分の管理不足で金銭面も厳しく、さらに祖父が重篤状態…
色んな事が重なり、苦渋の決断ではありましたが
カナダ行きを断念することにしました。

2月

語学留学行きがなくなり、予定も心もぽっかりと大きな穴が空いてしまいました。
これはもう、4月からの長野移住に向けて動くしかない、と重い腰を上げてリサーチを始めました。
そこで見つけたのが「ながのの人事室」(長野県の求人サイト)での「南箕輪村地域おこし協力隊」の募集。
“農業を軸にコミュニティを活性化”という見出しに魅かれ興味を持ちました。
12月にポンカン収穫をして、「農業」というワードが自分にとってホットだったこと、
大学生の時に東北でまちづくりの活動をNPO法人に所属しながら行っていたこと、
もう一度地域に根差した仕事がしたいという想いがあり、やりたいことと募集内容の重なりが見つかりすぐに問い合わせをしました。サイトを見つけたのが募集締め切りの前日で、滑り込みの応募に。

3月

無事書類選考に通過して、3月頭にお試しで3日間南箕輪村に滞在させていただきました。
行ったタイミングにちょうど雪が降り、曇天が続き景色などは見られなかったのですが、
農業者の方や地域おこし協力隊のみなさんと話をさせていただく中で「南箕輪村はいい人が多いよ~」
という言葉に嘘がないように感じて、全く知らない新しい土地でもやっていけるかな、と思いました。
その後は猛スピードで最終面談を終えて、住まいを探して、引っ越し準備をして….

南箕輪村にやってくることができました。
こちらに来て半月が経ちましたが、周りの方々に恵まれて新生活を送ることができています。
たくさん歩いて(車を走らせて)村のことや、長野県について深く知っていきたいです。
(山も開拓していきたい…!!)

ここまで読んでいただきありがとうございました!
これからよろしくお願いします。

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